企画展「古橋源六郎暉皃」シリーズ⑤

今日は8月16日ですが、今年(平成27年)、旧暦では7月3日です
旧盆が近いということで、企画展「古橋源六郎暉皃」から、お盆の資料を紹介します

年中行事   明治20年頃  古橋懐古館蔵
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明治20年(1887)の古橋家の年中行事や献立について記されています。
暉皃の三番目の妻・伊知が書き残した記録で、行事と共に奉公人の扱い方や、
親類との付き合いについても記されています。

「一、 十三日 なすにとうさゝぎ
やき麩 さら(皿)ゆふこのすみそ
下人にはみずさは(鯖)のさら
十四日浅(朝)もちにはた
さゝきのした(浸)し物
ひるにかけさゝげになす
ゆうはんなめしにひら(平)
生麩にあげ なす さら(皿)
ささみ しるは何にても宜敷
十五日浅(朝) なすび かひ
とうさゝぎの汁
ひる うどん ゆふはんに
さゝきめし ひら いも
牛蒡 なすび やき麩
しいたけ さら つけ上
牛蒡になすび
一百文源六郎お寺江(え)
十三日
一二十四文秀四郎 一十六文浦四郎
一十四文 一円寺 同 両(龍)光院」

※下人=奉公人のこと

暉皃を支えた妻・伊知のコーナー
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古橋家は代々酒造を業とし、味噌・溜(たまり)の製造販売に加えて、
農業、養蚕、製茶、植林等の業務もあって、
家族以外に多数の雇用者が同居し、年中多忙を極めていました。
男衆2人、女衆2人、酒、味噌、溜の製造に約20人、店番2人、
また、冬の仕込みの季節には知多から杜氏がやってきました。
多忙な暉皃に代わって古橋家を守ったのは妻・伊知でした。

妻・伊知について、写真などは伝わっていませんが、
伊知の記した年中行事の際の献立や材料準備の覚書からは
古橋家を守っていこうという一生懸命さが伝わってきます
暉皃の活躍の裏側には、それを支えた奥様がいらっしゃったのですね

尚、このコーナー、8月30日まで展示を行い、
9月からは暉皃の著作や凶荒年度の記録などと入れ替えする予定です
是非一度8月中に企画展をご覧くださいね

by きょん

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