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zoom RSS 企画展「本多静雄」…平戸橋で電話交換開始

<<   作成日時 : 2016/08/26 15:42   >>

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今日は、企画展「名誉市民 本多静雄〜民芸と陶磁を愛した技術者の生涯〜」の展示資料から、
平戸橋付近の「街灯見取図」と「安城館電信柱図面」を紹介します
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「安城館電信柱図面」 
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「街灯見取図」
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これらの資料は、本多静雄旧宅に遺されていたもので、民芸館所蔵の資料です。
色も鮮やかに残った「安城館電信柱図面」をみて、ぜひ展示したい!と思ったのですが、
年代や詳細については、全く不明でした。
そこで、元安城館の方にも聞いたのですが、もう分かる方はいないとのことでした。

よく調べてみると、『青隹自伝中巻』につぎのような記述がありました。

「電話交換開始」
私が平戸橋に帰った時には、その付近にはまだ殆ど電話は付いていなかった。
電話があったのは平戸橋の西詰にある平戸橋郵便局の業務用だけで、個人の宅には皆無であった。

ただ、花本の私の生家には、昭和の初め頃から区域外加入として、
「挙母二四四」という加入電話がついており、挙母の街のはずれから、
梅坪を通り笹川を越して花本へ入る回線が通じていた。
それと共架で平戸橋郵便局へ業務用電話が一回線入っていたのだと思う。

その頃、電話の架設は、区域外の場合は加入者が実費を全額負担することになっており、
電話の欲しいものは特別にその旨を申請して、割り当ててもらわねばならなかった。
したがって、当時は電話は貴重品だったのである。

私は逓信省の出身だし、退職後は郷里に帰って名古屋逓信局の工事を請負っているので、
その辺の事情に通じていたため、この状態では、
平戸橋付近の電話の欲しい人々が個別に電話を架設するとしたら、多額の経費がかかるし、
また挙母局としても許可しないのではないかと思った。

ところが幸いに、その時分、十名以上の申し込みがあれば、
その近くの三等局で交換を開始するという制度があったので、
私はその制度を利用して平戸橋で電話の交換を開始しよう、
市外線は今ある業務用加入回線を使えばよいと考えたのである。

そこで、加入者を募ったところ、(・・・中略・・・)十加入ばかりが集まったので、
それに必要な手続きを済ませ、昭和22年の3月31日に交換開始の運びになった(・・・中略・・・)。

「街灯見取図」(一部拡大)
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「街灯見取図」をじっくり見ていくと、この時の加入者宅が記載されています。
地図に書かれた丸印を街灯(電柱)だとすると、写真中央の「安」の字は「安城館」をさすようです。

故にこの資料の年代は、昭和21〜22年とすることが出来ます。
キャプションも一歩踏み込むならば、以下のように書くことが出来ます。
「昭和22年3月、平戸橋で電話交換が開始されました。それに先立って架設された電柱及び街灯の図面です。」

資料と『青隹自伝中巻』とをにらめっこしていくと、資料の謎がここまで解けました。
(当時のことをご存知な方がいっしゃいましたら是非発見館(33-0301)までご連絡ください)
詳細まで自伝の中で記録を残された本多静雄氏には脱帽です

by きょん

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